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oyasumi.baby よみきかせ時間目安:7分

走れメロス

メロスは走りました。

メロスは村の羊飼いです。素朴で正直な若者で、難しいことはわかりません。けれど、正しくないことが大嫌いでした。

ある日、メロスは遠い町へ買い物に出かけました。妹の結婚式の準備のためです。町は大きくて、市場には色とりどりの果物や布が並んでいます。

ところが町の様子がおかしい。人々はうつむいて歩き、だれも笑っていません。

「どうしたのですか」

「王さまが人を信じなくなったのです。疑わしいというだけで、次々に人を牢に入れてしまう」

メロスは怒りました。人を信じないなんて、悲しいことだ。メロスはお城に乗り込んで、王さまに言いました。

「人を信じないなんて、間違っています」

王さまはメロスを捕らえて言いました。

「おまえは三日後に処刑する。だが、もし三日後の日没までに戻ってきたなら、命を助けてやろう」

「三日の猶予をください。妹の結婚式があるのです。親友のセリヌンティウスを人質に置いていきます。わたしは必ず戻ります」

王さまは冷たく笑いました。信じていないのです。メロスが戻ってくるはずがないと。

セリヌンティウスは石工の職人で、メロスの幼なじみです。何も言わず、メロスの代わりに縄を受けました。目と目を合わせて、うなずくだけ。それだけで十分でした。子どものころから一緒に遊んで、一緒に野原を駆け回った仲間です。ふたりの間には、言葉よりも深い信頼がありました。

メロスは村へ走りました。山を越え、川を渡り、息を切らせて走り続けます。

妹の結婚式は美しいものでした。野の花がたくさん飾られて、羊飼いたちの歌が響いて、みんなが笑っています。妹は白い花をつけて、花婿の隣でにこにこと笑っていました。メロスは妹の幸せそうな顔を見て、胸がいっぱいになりました。ここにいたい。でも、セリヌンティウスが待っている。

式が終わったその夜から、メロスは町に向かって走り始めます。三日目の日が暮れるまでに着かなければ、セリヌンティウスが殺されてしまう。

夜通し走りました。月が雲に隠れて、足元が見えません。石に躓いて転んでも、すぐに立ち上がって走ります。朝になると、黒い雲が空を覆って雨が降ってきました。ぽつぽつと始まった雨が、やがてざあざあと地面を叩きます。川が増水して、橋が流されていました。メロスは濁流に飛び込みます。冷たい水に体を打たれながらも、必死に泳いで向こう岸にたどり着きました。

山道を越えるとき、山賊に襲われました。棍棒を振りかざす三人の男たち。メロスは拳ひとつで立ち向かって、なんとか切り抜けます。

けれど体がもう限界でした。足がもつれて、膝をつきます。口の中がからからに乾いて、目の前がぐらぐらと揺れます。道端の泉で水を飲みました。冷たい水が喉を通って、少しだけ力が戻ります。立ち上がって、また走り出す。でも太陽が西に傾いていく。間に合わないかもしれない。

「もうだめだ」

一瞬、心が折れそうになりました。このまま逃げてしまおうか。だれにもわからない。

セリヌンティウスの顔が浮かびました。何も言わず、静かにうなずいた親友の顔。あの信頼を裏切ることだけは、できない。

メロスは立ち上がりました。走ります。足が痛くても、息が苦しくても、走り続けます。

夕日が地平線に触れようとしていました。町の門が見えます。あと少し。あと少し。

「待ってくれ。メロスは帰ってきた」

広場にたどり着いたとき、夕日の最後のひとすじが残っていました。セリヌンティウスがそこに立っています。

メロスはぼろぼろでした。裸足で、泥だらけで、体じゅう傷だらけ。けれど目だけは、まっすぐにセリヌンティウスを見つめています。

「すまない。一度だけ、くじけそうになった」

「わたしも一度だけ、きみを疑った。殴ってくれ」

ふたりは互いの頬を一度ずつ殴り、それから抱き合いました。

王さまは黙って見ていました。やがてゆっくりと立ち上がります。

「わたしも仲間に入れてほしい。おまえたちを見て、人を信じることの美しさを知った」

群衆がどよめきました。広場に夕日の最後の光が差し込んで、三人の姿を金色に照らします。群衆の中からだれかが花を投げて、それからたくさんの花が宙を舞いました。老人も子どもも、涙を流しています。

風が吹いて、花びらがやさしく漂っています。夕焼けが空をまるく染めて、最初の星がそっと光り始めていました。