秋の夜のことです。
まんまるの満月が、空の高いところに昇りました。銀色の光が、村の屋根や畑の上にやさしく降り注いでいます。
村はずれの小さな路地を歩いていくと、ふんわりと甘い匂いが漂ってきました。焼きたてのパンの匂いです。
匂いをたどっていくと、角を曲がった先に小さなお店がありました。木の扉に、古い看板がかかっています。
「月夜のパン屋」
このパン屋さんは、満月の夜にだけ開くのです。
扉を開けると、カランコロンと小さなベルが鳴りました。
中はこじんまりとした温かな空間です。天井の低い木造りの部屋に、パン粉と小麦とバターの匂いが混ざり合って、やわらかな空気をつくっていました。
カウンターの奥では、白い帽子のパン職人さんが、生地をこねています。こねて、たたいて、また丸めて。その手つきは、赤ちゃんを抱くようにやさしいものでした。
「いらっしゃい。ちょうど焼き上がったところですよ」
パン職人さんがにこりと笑って、奥の窯のほうを見やりました。窓から差し込む月の光が、パンの焼き色をやわらかく照らしています。
棚にはいろいろなパンが並んでいました。
こんがりきつね色の食パン。丸くてふっくらしたロールパン。くるみとはちみつのパン。レーズンがぎっしり入ったパン。ほんのり甘いミルクパン。
どのパンも、湯気がふわあっと立ちのぼっていて、見ているだけで体が温かくなってきます。
扉がまた開いて、お客さんたちが入ってきました。
うさぎの親子がやってきて、ミルクパンを選びます。はりねずみがくるみパンを抱えて、嬉しそうに鼻を鳴らしました。ふくろうが静かに入ってきて、ライ麦パンをひとつ。
「このパン、お月さまの光で焼いたんですか」
子うさぎが目をまるくして聞きました。
「そうだよ。満月の夜は、お月さまの光がいちばんやさしいからね。その光で焼いたパンは、食べるとぽかぽかするんだよ」
パン職人さんが目を細めて答えます。
お店の中は、焼きたてのパンの香りと、お客さんたちのやわらかな声と、窓から差し込む月の光でいっぱいでした。
やがて、ひとりまたひとり、お客さんたちがパンを抱えて帰っていきます。月に照らされた小道を、みんなゆっくりと歩いていきました。
最後に残ったあなたも、あたたかなパンをひとつ手に取りました。
「おやすみなさい。よい夢を」
パン職人さんが、やさしく手を振ってくれました。
カランコロン。扉を開けて外に出ると、月の光がいっそう明るく輝いています。
手の中のパンが、じんわりと温かい。両手で包むと、その温もりが指先から、腕を伝って、胸の奥までしみわたっていきます。
パンの香りを吸い込むと、体がふうっとゆるみました。
ひとくちかじると、やわらかくて、ほんのり甘い。小麦の味と、はちみつの味と、それから月の光の味がしました。
お腹の中がぽかぽかと温かくなっていきます。指先も、つま先も、体じゅうが、やわらかな温もりに包まれました。
秋の夜風がそよりと吹いて、すすきの穂がさらさらと揺れています。
遠くのほうで、虫の声がりんりんと聞こえていました。
お月さまが、空の上からやさしく見守っています。